日本人の日々の食生活の中に欠かせない食形態である、「お弁当」。
学校や会社へ持っていく日常のお弁当から、お花見や遠足用のハレのお弁当まで、お弁当は生活を彩ってくれます。
本来、料理は作りたてが一番美味しいですが、お弁当には冷めた時に美味しい味のバランスが作られています。
昔から伝わる知恵、日本人の美的感覚、手先の器用さが詰まったお弁当の文化は、日本だけでなく、国外でも”Bento”という名前で、日本式の弁当箱とともに普及されています。
このコンテンツでは、意外と知らないお弁当の秘密に迫ってみます
お弁当の語源とは?
お弁当は、もともと中国語の便當(べんとう)」が、語源だと言われています。
便當とは、「好都合」や「便利なこと」を意味する中国南宋時代に作られた造語で、この言葉が日本に伝わった際に、「便道」「弁道」などの漢字が当てはめられました。
安土桃山時代に、「弁えて(そなえて)用に当てる」という意味から、現在の「弁当」という漢字になったと言われています。
もともとは中国から来た言葉ですが、そこに日本の感性が加わり、今の弁当になりました。
お弁当の始まりと「弁当 BENTO」とは
近年,日本のお弁当が海外で話題になっています。
おいしくて健康的、彩もきれいというのが人気の理由のようです。
また弁当箱は、「BENTO」用の箱として認知され、来日する外国人のお土産としても人気があるようです。
どの国にも、「食事を持ち運ぶ」という習慣はありますが、日本の「弁当 BENTO」は時代に合わせて進化し、一つの食文化として大成しました。
弁当の歴史
弁当とは、携帯できるようにした食事のことを指します。
1600年代まで、一日の食事は朝夕二回だったため、昼食に弁当を食べるという文化はありませんでした。
しかし長旅の際にはお腹が空きます。
そのため飯を乾燥させた干飯(ほしいい)を持っていき、水か湯で戻して食べたり、そのまま噛んで食べたりしました。
古いところですと鎌倉時代、忙しい役人が「屯食」と呼ばれる米を蒸した強飯の握り飯を食べていた記録が残っています。
このように、弁当の始まりは簡素な携行食であったことが分かります。
時代は元に戻りますが、日本で「弁当」という言葉が使われるようになったのは安土桃山時代です。
その弁当とは「そなえて用に当てる」という意味で作られた言葉です。
当時は戦国時代で、兵士が行軍の際に持って行ったり、城の建設のために働く労働者に配る簡単な食事を指していたようです。
その頃から容器と中身の両方をさして「弁当」と呼ばれるようになりました。
これが一般的に言われており「弁当」の始まりです。
弁当-携行食から独自の文化へ
安土桃山時代になると、上流階級の人たちがお花見など戸外で食事をする時にお弁当を食べるようになっていきました。
一部ですが、少し生き方に余裕が出てきたのかもしれません。
興味深いことにその頃の風俗絵には重箱のような物が書かれていて、手をかけて美しく作った食事、という弁当文化の始まりを見ることができます。
江戸時代になると、平和になり人々の生活は豊かになっていったため一日三度の食事をするようになりました。
仕事の合間、お昼の時間に重箱のようなものに入った弁当を数人が食している農村の絵が残っています。
庶民も、弁当を食べる習慣ができてきたのです。
江戸時代の中期には、庶民も仕事以外に花見や船遊び、神社仏閣への参詣など、楽しみのために外出することが多くなり、弁当文化が大きく花開きました。
その頃には弁当の作り方や詰め方の本が出版され、「きれいに詰めて楽しんで食べる物」という弁当文化が一般にも広まっていきました。
こうして、労働者や旅人が持ち歩く携行食だけではない、現在の「弁当」の基礎ができてきたのです。
この日本独自の文化が「BENTO」として海外で人気になっているのです。
弁当-携行食から独自の文化へ
様々な弁当と弁当箱
写真は「とんかつ」弁当です。美味しそうですね。
今では豊かな時代となりましたが、弁当が始まった江戸時代はそうではありませんでした。
弁当箱という道具が登場するまでは、干した飯を入れる「かれいひ」や、粥や雑炊を入れる手提げの「面桶(めんつう)」などが使われていました。
炊いたご飯を握ったものは竹皮、熊笹の葉などに包んでいました。
竹の皮や笹の葉には殺菌力があり、腐敗を防いでくれるとても実用的な入れ物でした。
平安時代に公家が使っていた破子(わりご)は、ヒノキを薄く削った板でできており、中に仕切りをつけフタをする使い捨て容器でした。
仕切りがあるといっても中身は握り飯のような物であったと考えられています。
破子(わりご)は現在の曲げわっぱに発展したと考えられています。
今聞いても何だか分からないようなものが多々ありますが、その当時には一般的なものであったのです。
弁当箱の登場
安土時代に、上流階級の人たちが花見や茶会など外で食事をする時に、重箱のような漆塗りの弁当箱が使われるようになりました。
このような弁当は色どりを楽しむことに焦点をあてていて、入れ物にも繊細な絵がつけられています。
右側にある古い弁当箱(画像出典:新宿区ニュースリリース)は江戸時代のものだそうです。
これに鮮やかな色がついていたのでしょうから。さぞ美しかったのでしょうね!
このように目で見て美しい弁当には、日本人の季節を楽しむ感覚や、自然を愛でる繊細な感覚が反映されているといえます。
一般庶民に弁当が広まった江戸時代には、能や歌舞伎の幕間(まくあい)に食べる「幕の内弁当」が登場しました。仕切りのついた箱に、ご飯や野菜、魚または肉、果物などを盛り付けた弁当です。
「駅弁」が始まったのは明治時代のことで、駅弁一号は梅干し入りの握り飯だったとされています。
その後駅弁は、地方独特の食材や料理が詰められ、見て楽しい容器が使われるなど日本人の「遊びの心」が現れた弁当になりました。
日常的な弁当
お父さんや子どものために家庭で作る現代のお弁当も、日本独自の「BENTO」文化が表れています。
戦後、食料事情が改善されると、おかずの種類や量が多くなり、いろどりがきれいなお弁当を作れるようになりました。
サンドイッチやクラッカーを包んだだけの海外のお弁当と比べると、日本のお母さんが作るお弁当は「芸術」に見えるようです。
今ではキャラ弁と言われる職人技の弁当を作るお母さんもいます。
時代とともに、弁当箱はアルマイトやプラスチック製と変化していきましたが、今でも様々なデザインのお弁当箱がわたしたちの目を楽しませてくれます。
テイクアウトするお弁当
中食市場の成長により、今では和洋中のたくさんの種類のお弁当が売られています。
これらには使い捨ての弁当容器が使われているわけですが、用途に合わせた様々な弁当容器があります。
最近の健康志向で人気なのが、少量のご飯と各種の総菜を分けて入れられる弁当容器です。
また、木目風の容器や、重箱をイメージさせる容器が使われている弁当もあります。
使い捨て容器だったとしても、やはり弁当は目で見て楽しいものが求められています。
この前興味深いことをお客様に聞いたのですが、外国人がお弁当を売る場合は中身が見える必要はないそうです。
しかし日本人相手には、必ず中身が見えるようなお弁当容器にしないと売れないと言っていました。
このことも日本人はお弁当に、目で見て楽しく、美味しそうな見た目が必要だということが分かります。
このように「きれいに詰めて楽しんで食べる物」という弁当文化は、数百年の時を経て、日本だけではなく世界に広がっているすばらしい伝統ということができるのです。
弁当のまとめ
木村容器では、用途に合わせた「弁当 BENTO」容器をご提案することができます。
ぜひお探しいただくか、当社パッケージコンシェルジュまでご相談ください。